気まぐれ日記 2012年2月

2012年1月ここ

2月1日(水)「1年で最も寒い時期・・・の風さん」
 1年で最も長い(長く感じる)1月が終わって、光陰が矢の如くなる2月になった。今年はうるう年で1日長い分、加速感は弱まるかな。
 とにかく今日も遅れている仕事を挽回するために、席でPCに集中した。
 しかし、寒い。
 1年で最も寒い時期でもある。
 こういう日に限って戸締り当番だ……と文句は言えない。先週の日程と交代してもらったのだった。
 日が暮れて、夜のとばりが降りてくるにつれて、気温もどんどん下がってくる。
 上の階の部屋を使って、ハンガリーの拠点との通信がなされている。ITを利用するのだが、トラぶっているらしい。
 下の階でも、仕事好きの人々がたくさん熱心に働いている。
 私は寒さで震えながら、ようやく分析作業のゴールにたどり着いた。
 駐車場のミッシェルに近寄ったら、フロントガラスに雪が張り付いて凍っていた。ぼやぼやしていると帰れなくなる。
 ときおり小雪が舞う中、家路を急いだ。

2月2日(木)「元副社長の原稿に感動・・・の風さん」
 目覚めて外が雪だったら今日は有休、と決めていたが、晴れていた。
 しかし、雪が全くなかったのは自宅周辺だけで、ミッシェルで北上しているうちに、周囲は雪景色となった。
 午前中、降雪が激しくなり、東北の日々(あちこちで暮らしたので、東北とぼかしておく)を思い出した。入院中の母のことも心配だが、暖房はバッチリだったので、その点、ひとり暮らしだった借家よりも安心ではある。
 午前と午後、二つの会議をこなして、何となく仕事をした気分になったので、前から読みたかった元副社長の講義原稿を引き出しから取り出した。
 若き営業マン時代の話だが、読んで感動した。思いが強ければ心に火が付いて、心が燃える、というテーマだ。ある種の使命感で頭がいっぱいになると、次々にやるべきことが浮かんできて、それがどんなに難しいことであってもぶつかっていく。何かに背中を押されているように。私もそうやって仕事をしてきたので(今もそうかもしれない、ただし気に入った仕事だけ)、大いに共感する。
 午前中の激しい降雪は午後は見られなかった。
 しかし、勤務先が大企業になり、やたら管理が厳しく、体裁ばかり気にするようになった現在、心を燃やしても、水をさすことが多すぎる。優秀な、というか、環境によって伸びる若者は、大企業よりもずっと小さな会社で思い切り働いた方が楽しいぞ、と言いたい。
 週に1回の定例行事、灯油を買って帰宅した。

2月3日(金)「執筆のために有休?・・・の風さん」
 寒波はゆるんできたが(降雪を理由にはできなかったが)、また有休にした。いくら何でも執筆が遅れている。あらゆることが遅れに遅れている。片っ端から片付ければいいのだろうが、なぜかスピードが上がらない。
 何にせよ、時間だけは確保しようと有休にしたのだ。
 執筆マシンに向かいながら、並行して雑用も片付けた。
地元の図書館に電話して、日曜日の文章サークルの特別イベント「山本悦子さんをお迎えして」の相談をした。
 近所の知人に電話して、その特別イベントに誘い、了解だったので、早速山本さんの作品『がっこうかっぱのイケノオイ』と『ポケネコにゃんころりんF』を参考資料として持って行った。
 4月から始まる愛工大大学院の講義のシラバスについて、大野先生とメールで相談して合意を得た。
 最近なかなか更新できないホームページを更新した。
 3月中旬に東京で講演をするのだが、そのときの配布資料を事務局へ送信した。
 大学院時代に所属していた研究所の同窓会からの問い合わせに対して、回答を作成して送った。
 え? これじゃ執筆してないだろうって? うーん。現実はいつも厳しいものだ。
 
2月4日(土)「ようやく執筆が進みだした・・・の風さん」
 昨夜はぶっ通しで執筆に取り組んだ……はずだった。確かに起きてはいたし、パソコンにも向かっていたが、原稿はほとんど進まなかった。GaoでジェイソンXを観ていたから(笑)。エイリアンとそっくりなストーリーだったな。
 午前中、少し仮眠してから、また執筆マシンに向かった。
 仮眠している間に兄貴からケータイに電話があって、折り返しかけてみると、その後のオフクロの様子だったが、兄貴自身が風邪気味で、ここ1週間直接会ってはいないとのことだった。
 入院直前から不安を感じていた、シモの方がよくなっておらず、単なる老化と認知症とどれだけの割合でそうなっているのか、私は心配だった。
 昨日よりは執筆に集中しつつも、たまる一方だった雑用も片付けながら、粘り強く原稿の手直しに取り組んだ。
 悩み事は非常に多いが、その中のひとつ、ビジネススクールの4月以降の授業料は、やはりローンを借りることにした。ローンはもうこれが限界だな。作家としての収入に目処が立たなければ、今年9月で退学かも。

2月5日(日)「歓迎、山本悦子さん・・・の風さん」
 文章サークルに、1年ぶりに山本悦子さんに来ていただいた。
 課題図書になった彼女の『がっこうかっぱのイケノオイ』の、読書感想文の表彰式が昨日東京會舘であり、そのときの様子などを図書館で話してもらった後、寿司屋へ席を移して懇親会となった。
 お話会も懇親会も前回のメンバー(図書館関係者)とほとんど同じだったので、終始くつろいだ雰囲気で楽しかった。
 図書館関係者は全員、読書家だし、本の目利きだし、文化人なので、作家に対する関心は強いと思う。それが私だけではあまりにも偏っている恐れがあるので、山本さんに来てもらうことは大きな意義がある。
 私にとっても、児童文学作家がかなり取材に力を入れていることを知って、優れた作品が続々とできてくることを納得した。
 いくらか文学論にも踏み込んだので、次回は、合評会にも同席してもらったら面白いかもしれない。彼女も私のサークルにだいぶ興味を覚えているようだ。
 帰宅した後、途中原稿だったが、出版社にメールで送った。いちおう生きていることぐらい連絡する責任はある。

2月6日(月)「本社で勉強・・・の風さん」
 また雨である。冬の雨は雪よりも冷たく感じる。体の外を吹き過ぎていく雪片と違って、雨粒は衣服をぬらし、最後は体の深奥部まで沁み込んでくる感じがするからだ。
 久しぶりに本社に行き、3月のパネルディスカッションのための勉強をした。
 このパネルディスカッションのテーマは、モノづくりのグローバル化と国内生き残りの関係なので、かなり重い。
 当然作家としての立場ではなく会社員、というより、自動車部品業界の代表として参加することになるので、偏狭なコメントを連発したら、以後私は業界から追放される。
 きれいごとはすべて把握していなければならないが、本当に現場で起きていることや、直面している本質的な課題について知っていなければ、やはり登壇する資格はない。
 あと1ヶ月、精一杯情報収集しようと思う。こういった短期集中の仕事のやり方は、ビジネススクールでさんざん鍛えられている。
 昨日まででワイフと相談した結果、新車を購入することにした。
 ワイフのクルマが7年目でもうすぐ7万km、私のミッシェルは●年目で173000kmを超えている。同じ年に2台とも車検はきついし、次回まで何が起こるかわからない。
 懇意にしている中古車屋へ行って、希望を伝えた。
 
2月7日(火)「今日も雨・・・の風さん」
 今日も雨が降っている。
 午前中は打ち合わせが続いた。
 パネラーの準備のため、あちこちから情報を入手するための手配をする。午後には、読むべき参考資料も決めて読み始めた。
 懸案事項だった来週の出張計画も立案した。
 気になっている雑務とまでは言わないが、こまごましたことを片付けたた。しかし、ちっとも精神的に楽にならない。
 それ以上にたくさん抱えているせいか、それとも仕事請負人としてのキャパが縮小してきているのだろうか。
 雨が降っているせいもあって、トレーニング復活は先送りした。
 原稿が遅れているので、いよいよ無茶モードに切り替えた。自宅では書斎缶詰め状態になるのである。疲れたら、そのまま床に身を横たえて休むのだ。悲壮感が漂う。甘いことではない。

2月8日(水)「無茶モードは続く・・・の風さん」
 ようやく雨が上がったが気温が低い。気温が低いと、何となく気分も低調である。今日もひたすら雑多なことを片付けて、少しでも楽になろうとしたが、思ったほど進展しない。
 週末に発注してあった改良名刺が届いた。これで当分名刺に困ることはないな。残る問題はすべて自分自身にある。
 今夜も無茶モードである。夕食後すぐ書斎でぶっ倒れた。昔「欽どこ」で見たようなお昼寝マット(細長い布団)で横になるので、案外気持ちよく寝られたりする(笑)。
 午前1時に起き出して、そこから突っ走った。体力が復活すると、やれるのだ。

2月9日(木)「緊急事態・・・の風さん」
 今朝の5時まで頑張ったが最後までたどり着けなかった。
 とりあえず1時間半だけ仮眠してから出社することにした。(-_-)zzz。
 2度目の目覚めは少し変だった。ノドが痛いのである。
 アメをほおばって出社し、会社でもせっせとアメをなめていたが、ノドがいがらっぽい。痛みもある。
 もしこのままノドの痛みが悪化すると、それはきっと本格的な風邪ということになる。
 昨夜自宅でやろうとしていた仕事が、急に気になってきた。風邪をひいて帰宅して、今夜もできないと大野先生に迷惑をかけることになる。どうしよう。頭の中でやるべきことはすべて出来ていて、あとはやるだけだったので、決心した。やろう。
 大学のウェッブサイトにアクセスしてログインし、ちゃちゃっとデータを修正した。短時間で作業は完了した。そして、そのことをメールで大野先生へ連絡した。
 これで、もし今夜私が帰宅してすぐぶっ倒れても大丈夫である。
 ノドの痛みはひどくなる一方だった。
 定時と同時に退社した。帰りに掃除のおばちゃんが差し入れてくれた極上のネギを1束もらって帰る。ノドは痛いし、絶妙のタイミングではある。感謝。
 恒例なので、帰りに灯油を購入して帰宅。
 夕食までが限界だった。
 そのまま薬を飲んでベッドへ直行した。大野先生の仕事を昼間やっておいてよかった。
 ただならぬ様子にさすがのワイフも協力的である。

2月10日(金)「風邪が悪化・・・の風さん」
 朝普通の時刻に目覚めたが、肉体は普通ではなかった。頭痛がするだけでなく、体中の節々も痛いのだ。
 風邪でよく経験する症状だが、無理する気になれない。体力も限界をこえていたらしい。
 止むを得ずあちこちへメールして、とりあえず休むことに。
 そのままベッドへ深く沈み込んだ。痛む体が悲鳴を上げる。
 昼食も夕食もワイフがベッドまで運んでくれた。不思議と食欲だけはあるが、頭痛と全身の痛みはひどくなる一方だった。それから、総合感冒薬と鎮痛・解熱剤を交互に服用したが、まったく効果がない。混用を嫌っているだけでなく、交互でも変な作用がないか恐れているので、処方の半分ずつの服用である。あとで考えると、ちゃんと2錠ずつ飲むべきだったかも。
 日曜日に大阪へ出かけて、日本数学史学会の行事にもなっている和算史跡ウォークに、会社の同僚夫妻と一緒に参加したいので、おとなしく寝続けることにした。しかし、痛みが熟睡をさまたげる。

2月11日(土)「明日の史跡ウォークが黄信号・・・の風さん」
 昨日は寝ていても仕方ないと思っていたが、今日からは貴重な週末である。朝から起き出して執筆マシンに向かいたかった。しかし、目覚めて即それが無理だと分かった。
 昨日からアイスノンで脳みそも冷やしているが、一向に楽にならない。
 だんだん頭の中にインフルエンザの7文字が浮かびだした。
 夕方一瞬痛みが弱まったときがあったので、いよいよ快方へ向かうかと期待に胸がふくらんだが、そのすぐ後から急転直下またひどい頭痛に悩まされだした。
 こういう状態だとベッドで目をつぶっていても寝られない。
 頭の中をさまざまな妄想がかけめぐることになる。しかし、妄想といったって色っぽいことは何もなく、昨日などほとんど仕事の心配ごとばかりである。今日からは執筆の悩みが繰り返し頭に浮かんでは消えた。あとは現日本政権に対する不満(笑)。
 東日本大震災からもうかなりの月日がたつのに、復興が遅い。どうも原発事故に話題をすり替えているように思えて仕方ない。原発を停止することは、震災復興以前に、日本全体を停滞させる。節電しなければならないし、火力に頼るため、CO2は増えるし、余分なコストもかかる。これを覚悟するなら、復興への投入パワーはその分だけ増やさなければならない。しかし、そんな様子は全く見られない。原発を停止することだけに注力している。そもそもやるべきは、被災地を特区に指定し、復興関連事業を促進させることなのだ。その絶好のチャンスをいたずらに見過ごしている。政府の責任は重い。
 明日の大阪行きはほとんど無理だなと思い始めた。
 
2月12日(日)「ようやく頭痛がうすらいだ・・・の風さん」
 早起きして、関係者へメールを送って、とりあえず大阪行きをキャンセルした。
 そして、当初の合流時刻が近づいたところで、もう一度ベッドから起き出して、会社の同僚夫妻が未知のメンバーとうまく出会えるようにサポートした。これはうまくいった。急いでまたベッドへ。
 今日も諦めてベッドでおとなしくしていようと決めても、頭痛と体の痛みでつらい。
 頭の中では原稿がぐるぐると回っていて、勝手にレビューを始める。そうしているうちに、本当に、解決策が出てきたのには驚いた。病気から回復したら試してみよう。とはいえ、苦しい。アイスノンで冷やしていても、このまま脳みそが使い物にならなくなるのではないかと、情けない不安でいっぱいになった。
 夕方、少し楽になったので、体温を測ってみたら37.8度あった。
 夕食後、痛みが再びピークになり、もう我慢ができないと思っているうちに、一昨日以来の深い睡眠に落ちた。苦痛に耐えているうちにただ疲れてしまっただけなのだが。
 午前零時を回ったころ、目が覚めた。
 不思議と頭痛が消えていた。しかし、その冷静な頭で判断して、明日は病院へ行こうと決めた。
 たとえこれから急速に治っていくとしても、ここまでひどかったのはインフルエンザだったのかもしれない。だとすると、社会復帰には慎重にならざるを得ない。専門家のアドバイスが必要だった。

2月13日(月)「瀕死の老人が新刊に感動・・・の風さん」
 せっかくよくなっても、今朝になってまた少し不調になった。
 それでも病院へは行った。
 インフルエンザの検査結果は「陰性」となったが、血液検査や尿検査の結果は思わしくなく(微熱もあった)、限りなくインフルエンザに近そうということで、たくさんの薬を処方してもらって帰宅した。
 ここからは病院からもらった薬だけを飲むことにする。抗生物質と4種混合の粉薬である。
 幸い寒さのピークは過ぎていたので、書斎にいても寒さはほとんど感じない。
 週末にやろうとしていた雑務の処理にとりかかった。
 しかし、3日連続ベッドの中に沈み込んでいた後遺症で、体が錆びついていた。柔軟性は全くなく、瀕死の老人といった感じの動作しかできない。コツコツと、全くの老人として作業をしていった。
 若桜木虔さんから新刊が届いた。『もしも戦国武将が社長になったら』(青春文庫)である。どこかで聞いたようなタイトルだ。とはいえ、昨今経営学に没頭している風さんなので、ちょっとだけと思いつつ、読んでみた。
 面白い! 外観とは全く異なり、論文風の文体であり、データもしっかり収録されていて、内容も論文に近い。ちゃんと仮説も提示されている。もっともっと掘り下げれば、1級の論文になりそうである。
 たちまち半分近く読み進んでしまった。

2月14日(火)「病的なバレンタイン・・・の風さん」
 無理すれば今日から出社できたかもしれないが、インフルエンザの疑いもあるし、3日連続寝込んだことで、体がすっかり病人になっている。実際、目覚めてみたら、まだ体の節々が痛い。それで、会社に電話して、上司に休むことを伝えた。
 おとなしくしていれば、たまっている雑用をこなせるだろうと、今日は、ビジネススクールの雑務に取り組んだ。なにしろ、大学院との連絡はウェブサイトの掲示板を通しておこなわれる。こまめに見ていられるほど、通常は精神的なゆとりはないのだ。それで、今日まとめてチェックした。確かに、学納金のお知らせなど、連絡事項がいくつかあった。情報を知っただけでは解決しないが、とりあえず知っただけで満足することにした。
 ついでに、気まぐれ日記もまとめて書いた。これも毎日のようにコンスタントに書くことが不可能になっている。それだけ私は超多忙になっている。そして、それに見合うだけの能力がついていないので、仕事はたまる一方。精神的にも追いこまれていくことになる。
 とりあえず自分の雑用を少し処理したが、出社していない分だけ、会社の仕事がたまっている。新たな頭痛の種だ。
 夕食後、食卓にチョコレートが並んだ。
 ああ、今日はバレンタインデーだった。私が心からバレンタインデーを楽しもうと思える頃は、もう私の周囲には女性はいなくなっているか、あるいは、私自身がどこかの施設に逼塞しているときだろう。
 病み上がりと言いつつ、まだ病気なので、考えることが不健康だ。

2月15日(水)「社会復帰初日・・・の風さん」
 今日から社会復帰だと、高らかに宣言したが、空はどんよりとしていて、いつ雨がぱらついてもおかしくなかった。
 そう。陰鬱な天候の中で始まった。
 研修所に出社したが、建物はもとよりオフィス内も寒い。
 あまりしゃべると咳が出るので、マスクをして、おとなしく事務処理を続けた。
 ひどく落ち込んでいたが、そんな私を元気づけようとするかのように、バレンタインのチョコが2つも届けられた。
 快挙だ。
 昼休みに久しぶりに英語の勉強を少しした。
 午後から本社経由で旧職場へ出張した。
 本社では展示会を見学したのだが、寒かった。知人と遭遇したが、落ち込みはなおらない。
 旧職場でも、たまっている仕事を少し片付けた。
 ここでもバレンタインのチョコを2つゲットした。
 快挙だ。
 ガソリンスタンドに寄って帰宅した。
 久しぶりに体を動かして、息切れを感じた。今度病気をしたら、もっと社会復帰に時間がかかりそうだ。

2月16日(木)「社会復帰2日目・・・の風さん」
 社会復帰2日目だが、慎重に行動している。
 しかし、昨日と違って天気がよく、気分的にはいくらか持ち直してきた。
 午前中ひたすら事務作業を続けた。身辺がいくらか整理されないと、まともな仕事はできない。
 午後、社有車に同僚を乗せて出張した。
 上司は私の運転を心配してくれたが、運転より難しい仕事が山のようにある。運転ぐらい躊躇している場合ではない。
 出張を無事に終えて、夕方帰社した。
 晴天のドライブだったので、昨日よりまた少し元気が出た。
 勤務先の特典で、車両紹介制度というのがある。昨年、珍しく兄貴の購入を紹介することができた。その報奨金が確定して知らせがあった。タイミングが良かったらしく、通常の2倍もらえた。ラッキー。たまには貧乏人にもよいことがないと……。
 疲労しないうちに、定時後、さっさと退社。
 しかし、帰宅しても元気が出ない。せめて読書くらいしよう。

2月17日(金)「何とか週末までたどり着いた・・・の風さん」
 今日も天気がいい。早く元気にならなければ。
 研修所へ出社して、午前中ひとつ打ち合わせをし、それから旧職場へ移動。
 旧職場では、長い打ち合わせをひとつした。今日の二つの打ち合わせは、来月の学会でのパネラーの準備で、当初、先週予定していたものだった。風邪で1週間遅れになってしまったのだ。
 この1週間の遅れは、実はかなり痛い。もともと自分に知識や経験が不足している内容だったので、できるだけ早くそれらを補って準備したかったのだ。まだまだ足りない。しかし、もう時間がない。焦る。
 私がまだ完全に体力を取り戻すことができず、また精神的にも追い詰められている今日、ワイフは、地元の人たちと伊勢参りバスツアーに出かけてきた。
 御蔭横丁とかでたくさんお土産を買ってきた。
 宮内庁御用達(ごようたし)のよもぎまんじゅうが美味しかった。
 宮内庁といえば、天皇は明日心臓のバイパス手術をする。
 1年前、母が心筋梗塞で倒れてから、今は信じられない元気さだが、医学の進歩には本当に目を見張るものがある。
 人類はこうやって長生きの手段を次々に手に入れているが、少子高齢化の日本に限っていえば、長生きした先に不安が多い。多すぎる。そう感じてため息が出るので、また気持ちが落ち込む。
 明日から頑張るため、さっさと就寝した。
 
2月18日(土)「不調のときに思う・・・の風さん」
 週末の書き入れ時である。
 なのに、擬似インフルエンザから、心身的にまだ立ち直っていない。
 とにかく執筆マシンに向かっていれば、多少なりとも前進するだろうと、期待してそうしているが、不調である。
 今日は天皇が心臓バイパス手術を受ける日である。
 ご高齢にもかかわらず、昨年の東日本大震災以来、多くの国民と同様に被災地への思いを行動に移して来られた。その心労がたたったのではないだろうか。手術という大きな判断を選択せざるをえない状況になったのである。
 ちょうど1年前、母は心筋梗塞で死にかけた。そこから、薬の服用だけで、不死鳥のようによみがえっているので、これは母の生命力以外のなにものでもない。
 天皇の場合は、大手術にもかかわらず、最終復活目標はテニスができること、だそうである。医学の進歩には目を見張るものがある。
 が、何とか、多くの治療困難な病気を一つずつ、できるだけ早く、普通の病気の中に入れて欲しい。
 母のことを考えれば、認知症である。
 知人のことを考えれば、筋萎縮症である。
 そう言えば、日本も重い病気にかかっているな。

2月19日(日)「お手本の武士・・・の風さん」
 天皇は順調に回復しておられるようだ。執刀医の中心となった順天堂大病院の医者は、武者修行しながら剣技を磨いていった武士を連想する。
 すごい、としか言いようがない。
 たまっている仕事をつまみ食いしながら復調を期待しているのだが、甘くない。
 精神も肉体もかなり弱っている。
 そのような中、今日は、無理やり掌編小説の下書きをした。
 実に久しぶりのことである。フィクションもたまにはやらないと、刀が錆びる。
 おっと、私も武士だったか(笑)。

2月20日(月)「今さら年金設計?・・・の風さん」
 企業にはさまざまな福利厚生制度がある。私の勤務先には、確定拠出年金という制度がある。定年退職後、公的年金を受け取るまでをつなぐ年金だが、退職金の一部を毎月投資する形で(自己責任で)積み立てるものである。
 どのような投資の組み合わせにするか、非常に迷うところであるが、既に10年間、ある組み合わせでそのままにしていた。
 今回、制度に変更があるため(経営環境が厳しくなっているため、この自己責任の割合を増やすのである)説明会があった。
 驚くことに、制度変更の理由説明はなく(言われなくても、経営者の立場で考えれば容易にわかるが)、具体的な投資の話になった。
 希望通り途中で退社して作家一本になれなかったため、今日の私があるのだが、今さら過去には戻れないし、今慌てて退社してももう手遅れである。
 帰宅して初めてワイフと将来の年金設計を話し合ったが、互いに表情は暗くなるばかりだった。
 私も無頓着だったが、ワイフも安心しきって油断していたのだ。
「定年退職したら、そのお金でまた新築できるかと思ってた」
 ワイフの言葉に、私たちのんき夫婦の愚かな人生設計(ないも同然だったのだが)が象徴されている。

2月21日(火)「プリンターも実は不調・・・の風さん」
 昨日、ミッシェルの積算距離計がめでたく174000kmに達した。
 めざせ20万kmで突っ走ってきたが、ワイフの車を買い替えることにしているため、車検のタイミングから下取りはミッシェルになる公算が高い。それはそれで大問題である。
 定時後、同僚と家庭問題について情報交換した。
 旧職場では似た家族構成になっている3人が頻繁に情報交換してきたため、それがどれだけ安心材料になったことか。
 今日、研修所の同僚と同じことをした。同僚にとっては初めての経験に近かったらしく、私の極端な話でも、参考になることが多かったようだ。
 今日は戸締り当番だったので、最終帰宅者が帰るまで席であれこれ仕事をした。しかし、最後は飽きてきたので(笑)、プリンターの仕様と価格のチェックをした。
 執筆マシンと組み合わせ使っているプリンターが、このところ不調である。インクカートリッジを激しく消耗する。
 インクカートリッジを数回全交換すると、新しいプリンターが1台買えてしまうという、恐ろしいビジネスモデルの罠にはまっているので、ランニングコストはプリンターの選定や運用は非常に重要である。

2月22日(水)「情報システムの話題・・・の風さん」
 今日は2012年2月22日か。2がたくさん並んでいるな。
 夕方、本社で、最先端技術について広範囲の知識を有する人と打ち合わせをする機会があった。
 確かこの人とは、昔、社歌の作詞審査を一緒にやったことがあるような気がする。社内審査員として多彩な顔ぶれを集めた中に、私たちがいたわけで、彼はその後技術のエキスパートとして存在感のある人物になったのである。
 バラエティに富んだ話の中で、ネットワーク技術の話が出てきた。社内ではあまり知られていないというか利用されていない技術である。具体的には「クラウドコンピューティング」がある。
 たまたまビジネススクールで情報システムのビジネスを勉強した私は、クラウドはもちろんのこと、SaaS(Software as a Service)やASP(Application Service Provider)も知っていたの
で、ビジネスの切り口での勉強も大切だな、と思った。

2月23日(木)「目をつぶってでも足を前へ・・・の風さん」
 研修所に出社し、午前中は上司と長時間面談した。毎年この時期の定例行事である。来年もう定年を迎える私は悩める老兵で(嘘だが)、人生設計の見直し中である。
 午後は、とにかくたまっている仕事を少しでも片付けようと、おとなしく仕事した(どういうこっちゃ)。
 時折、突風が社屋の外を音を立てて吹きぬけていった。こういうことに気付くということ自体、自分に何か変化が起きている証拠である(本当に集中して仕事をしていれば、気付かないものだ)。
 自宅でも、仕事への取り組みスタンスは共通である。立ち止まっていては一歩も先へは進めないので、目をつぶっていてでも、足を前に出す。
 今夜は、5月に講演をやらせていただく某大学へ提出する書類を作成したが、これがまた意外と時間がかかった。
 これでおしまいにして就寝してしまうと、ストレスだけが残る。
 行けるところまで行け、とばかりに執筆マシンにしがみついた。

2月24日(金)「久しぶりに5人家族・・・の風さん」
 今朝の5時に限界に到達し、少し仮眠してから出社した。
 途中で昨夜作成した書類を投函し、郵便ポストへ遠回りしたついでに、研修所への新ルート開拓にも挑戦した。ズバリ把握はできなかったが、何となく新ルートの存在の手応えはつかめた。
 今日も、おとなしく仕事していたら、突然停電になった。
 デスクトップパソコンで資料を作成していたので、少し失うものがあった。大怪我でなくて助かった。それにしても、デスクトップにはこういうリスクがあるので、要注意である。
 停電の原因は研修所ではなく、中部電力だったらしい。珍しいことだ。
 原発事故が原因で電力事情がややこしくなってきた。日本としてどうあるべきか、ブレーンを集めて議論してほしい。中途半端はいけない。
 今夜は会社の講演会があって、聴講予約してあったが、少しでも仕事を片付けておく必要があって、泣く泣く欠席にした。残念。
 今夜は久しぶりに家族5人がそろう。帰宅途中、コンビニでアイスクリームを買った。貧乏な私に今できる最大の貢献はこの程度だ。

2月25日(土)「マルチできそう・・・の風さん」
 新鷹会の仲間から電子メールで五大路子さんの新聞記事データを送ってもらった。
 開いてみたら、来週から始まる公演に関する記事で、また横浜で発見した題材に基づくお芝居だった。色々な面で余裕があれば、公演を鑑賞に行くのだが、まったく無理。
 五大路子さんと大和田伸也さんのファンクラブから郵便が届いた。
 開封すると来週からの公演のお知らせだった。
 また心が揺さぶられたが、身動きができない。
 今日は、午前中に掌編小説、昼食後に星空トーク原稿そして夜は新潮選書原稿に取り組んだ。
 もともとマルチというか同時並行は得意だったはずだが、昨今は普通の人になっていて、女性は得意でも男性は苦手ということで、私も例外ではなくなっていた。
 しかし今日は少しできたので、いくらか気持ちが前向きになってきた。

2月26日(日)「新鷹会アンソロジー・・・の風さん」
 風が冷たい1日だった。
 全国的に梅の開花は遅れる見込みだそうで、うちの庭の梅も出すぎた真似はしていない。
 年々話題が拡大する東京マラソンで、今年は2人のランナーに注目した。川内選手と藤原(新)選手である。
 通常の環境の中にない2人が、はたしてロンドン五輪に行けるのか、いやぜひ行ってほしい、そういう思いで注目していたのだ。
 結果は、藤原(新)選手が2時間7分台という好タイムで日本人トップになった。ロンドンへの切符は確実だろう。
 川内選手は全体の14位と惨敗したため、どこかで再挑戦である。ぜひまた頑張ってほしい。
 夕方、今年2回目の文章サークルを開催した。超多忙の中でのサークル開催で苦しかったが、日曜版に掲載されている300字小説の半年に1度の受賞作紹介と、来月の「星空トーク」が近づいているため、どうしても開催しておきたかった。
 夜、新鷹会の先輩から電話があった。元新聞社勤務の方である。新鷹会アンソロジー(新鷹会作家の作品集)用の原稿を何か提供できないかということだったので、喜んで提案させてもらうことにした。明日用意して、明後日郵送するつもり。

2月27日(月)「ビジネスの暗い記事・・・の風さん」
 旧職場に出社した。
 昼休みに兄貴に電話して、先週の母の様子を聞いた。心配なことは色々あるが、最近はちゃんと入浴しているという情報は明るい話題だった。一方、自宅の位置を思い出せないと本人が話しているという情報からは、母の認知症が進んでいることを実感した。
 夕方、本社へ移動して会議に出席した。
 社内の技術研修をどうするかという会議で、半導体技術の話になったとき、雰囲気が暗くなった。これは社内の問題ではなく、日本の問題だからだ。
 かつて日本の製造メーカーが世界を席巻していた半導体業界だが、その後、韓国を筆頭に海外メーカーに逆転された。メーカー単独では国際競争は不利なことがあるが、その典型が半導体である。設備投資を国が援助すること。電気代の安さ。法人税の低さ。為替の安さ。等など、である。
 年月をかけて凋落していった半導体業界である。就職に敏感な若者が離れていった。大学での半導体研究を選択しなくなったのである。そうなると、企業に入社してくる新人の中に、優秀な半導体技術者がいなくなってくる。悪魔のサイクルである。
 日本の女子のフィギュアやサッカーが活躍している限りは、大勢の子供たちが取り組むから自然と底辺が広くなる。そうなれば頂点が高くなるのは当然の結果である。
 スポーツだけでなく、重要な技術分野に対して、国が総力をあげて活性化に取り組まないと、日本は世界で戦えなくなる。
 何事もトップを目指すことは重要なのである。
 帰宅して、ネットニュースを見ていたら、半導体メーカーのエルピーダの破綻記事が出ていた。
 暗澹たる気分になった。
 私が属している自動車業界では、半導体は重要な技術である。それが国内調達できなくなれば、海外から調達することになるわけだが、いつまでも安くて良いものが入手できるとは限らない。国内メーカーがないことをいいことに、価格は吊り上げられる。それでも低価格なら、為替を操作される。つまり円安にして、安く輸入できないようにされるのだ。そうなったとき、急に国産半導体をと叫んだって無理だ。
 自動車業界は、幸い、エコカー減税や補助金で何とか維持してきたが、もし国の政策がなかったら、今夜の記事に続いて、トヨタ、日産の破綻記事が続いたかもしれない。日本産業の崩壊である。

2月28日(火)「面白い!・・・の風さん」
 昨夜、午前零時を回ってから、忘れていた会社の仕事を突然思い出した。重要な仕事ではないが、やらねばならない雑務である。今日出社してすぐできるものではないので、家でやれることはすべてやっておくことにした。
 その勢いで、作家の仕事もやれるだけやっておこうと決意した。
 今朝、就寝したのは午前4時である。
 3時間寝て、普通に出社した。今朝の行き先は旧職場。上司の承認が必要な書類があって、室長のハンコをもらい、昼前に本社に移動して部長のハンコをもらい、昼休み中に常務役員と副社長のハンコをもらい(いちおう書いておくと、すべてなごやかな雰囲気の中でもらっているハンコです、念のため)、その書類をしかるべき部署に提出して、一段落。
 その後、研修所へ移動して、雑多な業務を片付けてから退社した。
 この間、通勤のための新ルートを探索した(途中で道を間違えた)が、今日は、その逆ルートを探索してみた。
 2回の探索で、新ルートをほぼ把握できた。
 愛知県で暮らすようになって30年以上になるが、自動車のメッカだけあって、新しい道路がどんどんできる。だから、新ルートの探索は重要である。
 しかし、自動車のメッカではあるが、交通事故は多く、ドライバーのマナーは、私の知る限り、全国で最低だと思う。交通事故の多さは、マナーの悪さが主要因である。
 帰宅して新聞記事を仔細に見ていたら、東京マラソンで惨敗した川内選手がくりくり坊主頭になっていた。お、面白い!
 その東京マラソンで、福島県南相馬市の桜井市長が完走したというのもあった。若いころは剣客じゃない健脚の人で、2時間30分台のベスト記録ももっていた。さすが、と思うと同時に、年齢を見て絶句。私より少し年が下!

2月29日(水)「覚悟の執筆・・・の風さん」
 月末を目標にした仕事がいくつかあって、必死に頑張ってきたが、とうとうすべてやりきるのは困難な状況になってしまった。
 それらの中から、一番お付き合いの短い仕事を最優先に設定して、やりきることにした。
 今朝の5時に起きて、少し執筆をしたが、やっと本来の調子が戻って気がした。
 しかし、出社時間になってしまって、中断。もう有休をとる余裕もない(今月は擬似インフルエンザで4日も有休をとってしまったから)。
 会社でふと思い出して、腕時計を見たら、カレンダーが「29」になっていた。電波時計なので、まったく自分では時刻調整していない。日付も自動で、4年に1度のうるう年に対応していたわけだ。妙に感心した。
 帰宅して、今朝の執筆の続きに着手。
 途中で、3月17日(日)の大阪市立科学館での「星空トーク」に、大阪の知人を誘うことを思い出した。
 メールを送ったらまもなく返信があり、「申し込みました」という返事。
 うれしかった。
 できるまでやるぞ、と執筆をその後も継続。

2012年3月はここ

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